『中名田誌』(昭和61・1986年刊)より
”小屋の砥石山について、古老の語るによると江戸時代からとも思われる以前から、〇〇(注:細かい場所は伏せます)地籍の砥石山で京都の鉱山夫により採掘され、牛に負わせて山道を搬出、良質の砥石を産出した。更に昭和40年橿原市の鉱山士が地元民数人を雇い小型ブルトーザーにより採掘を行い、数年を経て掘り尽くした。・・・”
私が小学校に入った頃(昭和48年)かそのちょいと前か、上田の小堂商店(りょうみせ)に行くと、”トイシヤマオッツァン”と呼んでいたおじさんが買い物をしていたことを記憶しているので、その頃はまだ採掘をしていたのだろうと思う。
今回、小屋区在住の大先輩から場所を聞いたので行ってみると、なるほど確かに採掘の痕跡があり、それらしい質の石片が残っていました。数年前に近辺をひたすら歩いて探したのは、まったく逆方向でして、そりゃあるはずないなと・・・😅。
ということで、かけらを1つ拾ってきて、どのような具合か試してみました。
しばらく水に漬けおいてから、整形砥石で平らな研ぎ面を少し作りました。仕上げ砥石らしい砥粒が出てきました。
常用のナタを研いでみます |
しばらく研ぐと、仕上砥石で研いだ感じに |
新聞もスパッと切れました。なるほど・・・ |
ということで、かつて砥石山が中名田にあったということが確認できたのでありました。
中名田公民館に、小屋区の方から寄贈された小屋産砥石そのものがありますので、確認しに行くこともないのですが、自分で探してみたかったということで・・・😅。はい、気が済みました!😃
投稿者:きっこりぃ
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