2014年9月20日土曜日

いざ、熊野那智神社と小村城跡へ

中名田健康ウォークの下見に、体育協会の理事長と田村のゆめづくり委員会の副会長の3人で、上田区の岩井谷集落の山の中にある熊野那智神社と上田区の小村城跡へ登る。

熊野那智神社は、奥深い秘境の巨岩洞窟内に建てられており、神秘的である。中名田の人もあまり知らないであろう。
社前に栃の巨木があり、これはご神木のようである。すごい大きさであり圧倒された。

参道入り口ここから1.4キロ先
道路が寸断されていた
40分で到着
栃の巨木
巨大岩の下に社殿が・・・

また、上田区にある小村城跡は、戦国時代の山城である。頂上に登ると、中名田地域が一望でき、中名田の地を治めていた豪族の姿が蘇ってきた。ほらがいの音が聴こえてきそう。

この山の上に城があった
小村城跡頂上
中名田地区を眺望
どちらも、山に登るということで、お年寄りにはどうかと思うが、行ってみる価値はある。

投稿者:田村の子

小浜市デジタル文化財 抜粋
当社は、上田区岩井谷の集落から、北北西約1.6㎞。霊峯、飯盛山頂の西南に当たる険峻な急崖に、東面する大巨巌が開口する洞窟と、その前面の僅かな小平地にまたがって鎮座され、社前には栃の巨木が神木として巨岩と対峙する。
 『中名田郷土誌』に、延暦17年(798)坂上田村麻呂による社殿の改築。天長3年(826)十一面観音の併祀に伴う女人登拝の解禁を説くが、恐らく当社の起源はこの巨岩洞窟を神座とする原始信仰に発し、やがて小祠の建立、尊像の奉安と信仰対象の変遷を辿り、とりわけ平安時代中末期以降は、熊野修験の活動、熊野信仰の伝播と相まって、熊野権現の勧請をみたのであろう。
 市域には、山上・山腹等に鎮座の神社も多いが、当社のように奥深い秘境の巨岩洞窟内に建営の神社は、他に類例を見ないうえ、原初の石神信仰から社殿祭祀への変遷を確認できる好例であり、また険しい旧参道の傍にある山伏屋敷跡の伝承は、往昔の修験活動を物語るなど、巨岩と洞窟が生み出した古代信仰をとどめる当社境内は、その景観と共に貴重である。

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