熊野那智神社は、奥深い秘境の巨岩洞窟内に建てられており、神秘的である。中名田の人もあまり知らないであろう。
社前に栃の巨木があり、これはご神木のようである。すごい大きさであり圧倒された。
参道入り口ここから1.4キロ先 |
道路が寸断されていた |
40分で到着 |
栃の巨木 |
巨大岩の下に社殿が・・・ |
また、上田区にある小村城跡は、戦国時代の山城である。頂上に登ると、中名田地域が一望でき、中名田の地を治めていた豪族の姿が蘇ってきた。ほらがいの音が聴こえてきそう。
この山の上に城があった |
小村城跡頂上 |
中名田地区を眺望 |
投稿者:田村の子
小浜市デジタル文化財 抜粋
当社は、上田区岩井谷の集落から、北北西約1.6㎞。霊峯、飯盛山頂の西南に当たる険峻な急崖に、東面する大巨巌が開口する洞窟と、その前面の僅かな小平地にまたがって鎮座され、社前には栃の巨木が神木として巨岩と対峙する。
『中名田郷土誌』に、延暦17年(798)坂上田村麻呂による社殿の改築。天長3年(826)十一面観音の併祀に伴う女人登拝の解禁を説くが、恐らく当社の起源はこの巨岩洞窟を神座とする原始信仰に発し、やがて小祠の建立、尊像の奉安と信仰対象の変遷を辿り、とりわけ平安時代中末期以降は、熊野修験の活動、熊野信仰の伝播と相まって、熊野権現の勧請をみたのであろう。
市域には、山上・山腹等に鎮座の神社も多いが、当社のように奥深い秘境の巨岩洞窟内に建営の神社は、他に類例を見ないうえ、原初の石神信仰から社殿祭祀への変遷を確認できる好例であり、また険しい旧参道の傍にある山伏屋敷跡の伝承は、往昔の修験活動を物語るなど、巨岩と洞窟が生み出した古代信仰をとどめる当社境内は、その景観と共に貴重である。
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